パックラフトでソロの四万十川

+キックボードで、源流から河口まで辿った2023年秋の記録。

四万十川に会いに行く 太平洋にも会いに行く(四万十町vs四万十市)

2023年10月21日(木)
4日目の日程:四万十市中村地区、河口到達、帰路

 いやあ、熟睡してしまいました。根っからキャンプ好きな皆様だとテント泊2回位、屁でもないと思われますが、アラフィフおじさんには寝袋2泊後のフカフカのベッドで寝られることの幸せといったら無いです。中村プリンスホテル、普通に年季の入ったビジネスホテルでしたが、中心街へのアクセスといい、実に快適でした。

  

 さて、ここまで堕落の道を突き進んでしまったからには、最後くらい締めないといけません。ということで早々にホテルのフロントに荷物預かりをお願いして、キックボードで河口に向けて出発です。片道10km、往復3時間程度の見積もり。ルートについて一通り悩んだのですが、やっぱり最後はなるべく川沿いに行きたい、というのと、海との境界となる河口右岸はどうも公園というか有料の施設になっているような雰囲気もあったので、しばらく右岸を進みつつ、途中橋を渡って左岸の砂浜を目指すルートに決めました。


 
 平日朝8時半過ぎ、地域中核都市の中心部。当然通勤の皆様で車も混雑気味です。昨日一昨日まで滞在、通過してきた原風景地域との落差にさすがに戸惑います。なるべく皆様の邪魔にならないよう、おとなしめに歩道を通行。

 
 ほどなく、中村のシンボルである「赤鉄橋」を通過。本当はこのあたりの河川敷に無料の「四万十川キャンプ場」もあったらしいのですが、個人的にはもう悪魔さんとがっぷり肩組んで「ホテル泊まり最高」と胸を張りたいと思います。あ、もう口屋内の河原の石は投げつけなくてもいいですよ。十分痛いので。


 さて、鉄橋を渡ると堤防の上を真っすぐ伸びた、いたく快適な道路になりました。天候は昨日とうってかわって「晴」、かなり強めの追い風が吹いており、なんなら軽めの下り坂のように一ケリで長い距離を進みます。スカーンと青く晴れわたる十月の空、車通行禁止で無人の堤防上道路。視界の半分以上は河口間近の四万十川の流れと、長く長く続くアスファルト。なぜか、「この世の果てというのはこういう景色なのかもしれないな」と思ったりもしました。

 しばらく堤防上の快適な道路が続きましたが、そのうち車道と合流してしまい、歩道が無くなりました。こうなると結構車との距離が近くて怖い。通勤の時間帯なので結構車通りも多く、自分を追い抜き出来ない車が1台はまるとすぐにズラっと後ろが数珠つなぎになって恐縮です。少し遠回りにはなりますが、再び車道から離れた堤防上の道を見つけ、そちらを進むことにします。こんな河口近くでも、支流にかかる小さなかわいい沈下橋もあったりしました。


 途中、大きく立派な橋を渡って右岸から左岸に移動、こちら側は残念ながら河口まで行く道が少々四万十川本流から離れてしまいますが、代わりに支流が近くなります。しかし船も係留されてたりしますし、これはもうどちらかといえば入江ですね。すでに海辺の雰囲気そのものです。

 四万十川河口最寄りの下田港を過ぎると道は集落に入り、そのまま突き進むと防風林と思しき林に突き当たりました。そこを通り抜け、堤防の上に上がれば、そこはそう、もうゴールの太平洋。


 
 太平洋です。
 
 とうとうやってきました。
 
 時刻は9時半過ぎ。キックボードを防波堤に放置し、河口の堤防をなるべく先端のほうまで歩きます。前を見ると太平洋、後ろを見ると四万十川

 そんな宣伝文句を何度か途中見かけましたが、帰ってきて改めて調べてみると、それは旧窪川町が中心の四万十「町」のほうで、ここ旧中村市が中心の四万十「市」のモノではありませんでした。しかしどれだけ四万十川が好きなんだこのあたり一帯。

 何はともあれ、四万十川の源流から出発して、道中色々堕落の道を究めたりもしましたが、なんといっても河口まで到着しました。野田さんの著書で、たしか椎名誠さんの息子さんの岳君達と四万十川を河口まで下った時、最後は「ただひたすら河口の景色を眺めていた」といったような記述があったように記憶していますが、比べるのも失礼な位私の旅は陳腐ではありましたが一ミリくらいは似たような気持になったのではないかと思います。
 
 「カラッポ」
 
 という表現が適切な気がしました。一生懸命これまでの旅程やら、準備のことやらを思い出してみようともしましたが、そういったことを考えることがバカバカしくなる位海は蒼く、空は青く、ただギラギラしています。


 堤防の上に寝転んでしばらく放心する時間が過ぎました。
 
 悪魔と肩くんだりもしましたが、これはこれで、中村市街で終わらせず、河口まで見に来た甲斐があった気がします。あたりまえですが、川というのはそのうち海につながるんだ、というのを「始まり」から「終わり」まで自分の足で移動して自分の目で確認、という旅はなかなかに達成感のあるものでした。