懐かしの窪川、そして川旅の始まり
2023年10月19日(火)
2日目の日程:天満宮前キャンプ場 ー江川崎
2日目の朝。
なんだかんだいって前夜は時間を持て余し気味で8時前には寝袋に入ってしまったので、翌朝も相当早く目が覚めてしまいました。あたりは霧が立ち込め、なんだか明るさが弱々しいのですが、川霧はだいたい日の出後しばらくして晴れるという個人の経験を信じて、まずは優雅にドリップコーヒーとパンで朝食。本当は地元食材にこだわりたかったのですが、残念ながらジモティパンはありませんでした。昨日の夕方に続いて、ピーチクパーチクいろんな鳥の鳴き声。川に降り立つサギ。遠くにニワトリの声。正しい川の朝です。
さて、さっさと朝食を済ませ、テントなどもパッキングして出発準備完了、これでもまだ7時すぎ。バスの時間までは1時間以上あるので、近くの沈下橋を見てくることにしました。路線バスが走るものとしては一番上流に位置するらしい、長野橋という名前のものです。往復5km弱。ジョギングだとまあ行けるか、徒歩だとちょっと心許ないか、という時間ですが、ここでもキックボードなら余裕の往復。
田舎にしては結構立派な白破線の片側一車線道路なのですが、キックボードで走ると路面の品質の差が結構あります。年代の新しいところは比較的ザーと快適に進むのですが、やや年季が入っているところに来るとガリガリといった感じで途端に速度が落ち込んでしまいます。そして平日の朝なので、当然どんな田舎でもそこそこ車が通ります。(といっても数分に一台程度ですが)この年は電動キックボードが公認された元年だったのですが、逆に人力キックボードの立ち位置がよりあいまいになった気がします。結局公道を走ってよいのかは不明確なまま。そのあたりを踏まえ、なるべく道路のすみっこのほうを走るよう努力しますが、そうするとこの「ザー」「ガリガリ」がより頻繁に切り替わる他、たまに舗装が崩壊していたりして結構ひやひやしたりもします。しかしそんなことがどうでもよくなるくらい、朝霧が徐々に晴れていく田園風景が美しいです。「清々しい」というタグをつけまりたくなります。
そんなこんなで、2kmちょっとの道のりを10分ちょっとでこなし、本日最初の沈下橋に到着。
まあ、高校の時にもいろいろ沈下橋見ているわけで、この橋に何か感慨を持てるかというと「ああ、沈下橋だね」くらいにしか感じないわけですが、ここを路線バスが通ると聞くと、ちょっと乗ってみたくもなります。
さて、あまり時間に余裕があるわけでもないので、橋堪能は数分で終わらせ、気持ち急いでキャンプ場に戻ります。戻ってみると、管理人らしきおばあちゃんが対面の民家から出勤(?)してくるところでした。料金の支払いの事を聞かれたので、昨日すでに投入済みの旨お伝えしました。口コミ等ではこのおばあちゃんが親切で名物の人らしいのですが、残念ながら私はもう撤収後だったのであまり交流を持つ機会がありませんでした。
神社前の、林で囲まれたちょっと荘厳な雰囲気のある道路脇で待つことしばし、バスはきちんと定刻にやってきました。今回も、万が一にも通過されないよう気持ちダイナミックに手を挙げてみたりしましたが特に心配することなくきちんと止まってくれました。やっぱり今回も乗客はわたくし一人。
さっそく、先ほど見物したばかりの長野橋を通過。なるほど、超ぎりぎりです。窓からかなり下をのぞきこまない限り橋は見えません。鉄道の陸橋とかだと「ふーん」で終わってしまいますが、ハンドルで操作しているバスと思うと、なかなかにこの幅はスリリングです。しかしさすが運転手さんは熟練の技、なんてことなく通過してしまいました。
そしてバスは昨日と同じく、わりと立派なバイパス的道路をずんずんと進んでいきますが、こちらはさすが現役の民間経営路線、途中何人かお客が乗ってきたりもしました。でも、皆さん終点の鉄道の駅まで乗っていくのかというとそうでもなく、途中の良く分からないところで降りていってしまう人もいました。そして油断すると、急に対向もできないような細い道路になったりもします。
この間、少なくとも昨日のコミュニティバスの移動距離よりははるかに長いはずだったのですが、ありがちな田舎の山間のバイパス道路が延々と続いてしまったせいか、気が付くともう窪川の市街地に入ってました。四万十川の印象少なくてすみません。
でも、市街地に近くなってからの景色は見覚えがあるようなないような感じです。なにしろ高校生の時、1回目の遠征時にはこの窪川近辺の河原で何泊かキャンプしたのですから。山並みと遠くに見える寺社の建物がなんとなく保存されていた写真に似ています。(以下は1991年の写真)
そうこうしているうちに窪川駅に到着。1時間弱のバス旅。これにてバスの移動は終了で、次は鉄道による移動です。
...って、懐かしい!!窪川駅、ほぼ私が高校生に来た時と変わっていない!当時終電で到着後、駅の営業終了後から始発の時間まで仮眠(という名前のどうどうと寝袋睡眠)させてもらった軒先もきちんと残っています!ただ今は自販機が多数置かれており、とても寝袋で寝られるような雰囲気ではありません。あと、駅舎の中もおしゃれにリフォームされてますし、なんといっても駅の隣、線路をまたいで両側にものすごく大きくて新しくてカッチョイイ町役場の建物が建っていました。(一つ目は1991年、二つ目は2023年の写真)
乗り継ぎが悪く、ここで一時間半近くも待たなければならないため、おしゃれリフォームな駅舎はコンセントも自由に使えたりして大変助かったのですが、驚いたのは結構お仕事の人がいること。特に別嬪さんな女性が何やらテレビ会議を延々とやっていたのが印象的でした。
さて、長い待ち合わせ後、ようやく電車、というか1両のレールバス、という車両の時刻になったので乗り込みます。この辺からは、もう鉄道マニアさんの記事がうなるほどあると思いますので私は簡単に済まさせていただきますが、なんといいますか観光目的に全フリで、外観も新幹線なら、車内の座席の一部をとっぱらってNゲージ展示が行われてたりします。ベースの車両そのものは私が高校生の時に乗ったのと変わらない気がするのですが、こうして地元の足としての利用はほぼゼロで、鉄っちゃん専用列車になっている現代の様を見ると、正直心は複雑です。(お前もあきらかにその一部だろうが、というお声は甘んじで受け入れます)
途中、ダムじゃないけどほぼダム、な所を眺めたり、野田さんが以前大冒険した渓谷部分の所を眺めたり(今は相当増水してないと下れないと聞いています)、長い長い交換待ち停車で早い昼飯を食べたりしながら、いよいよわたくしの目的地、半家駅に到着です。当然無人駅、誰もこんなところで降りません。
いよいよ今回の旅の核心、パックラフトによる川旅の始まりです。