なぜ四万十川か。
某有名なNHK Eテレの子供番組の歌に「呼んでもないのに[呼んだ?]って出てくるよ」という名セリフがありますが、まさにソレな、な感じとなる、誰にも期待されていないのに「期待してた?」と思い込み一念発起した「パックラフトでソロの」シリーズ続編になります。
いやー今回はいろいろ悩みました。
何をかって、「四万十川でいいのか」というところです。
前回の釧路川は、誰に聞いても文句なく、世界的に見ても貴重な釧路湿原を縫う清流釧路川、源流の屈斜路湖から釧路湿原中心部まで船で一人旅なんて最高、という感じだったのですが、四万十川(しまんとがわ)というと、えーっと、あれ四国のどのへんだっけ、聞いたことはあるんだけど何かあるんだっけ?というかたも少なくないのではないかと思います。
そうなんです、四国の川といえば最近のニュースでよく聞くのはむしろ渇水の話題ばかりで、だいたい夏から秋にかけて少雨のためダムの貯水率が下がり...みたいなトピックばかり並びます。何しろ四国、高知という地名まであるくせに、高地が少ないですから。というか最高峰でも二千m弱。我らが地元、埼玉県ですら最高峰は二千五百m程度あるのに。
しかし!そんなことではいけないのです!四万十川といえばなんといってもカヌーの聖地!水量とか関係なくカヌーと言えば四万十川、四万十川といえばカヌーなのです。なぜ?
という前置きもうっとうしいですよね。皆さんご存じですよね、日本を代表するカヌーの第一人者、野田知佑さんがその著書で紹介したのがきっかけというのが通説です。特に「最後の清流」というキャッチコピーを付けたのは野田さんが元祖と言われています。後にNHKの「ブラタモリ」という番組で、なぜ四万十川が(実は水質はあまり良くないのに)清流と言われているか、みたいなテーマでするどく激しく迫っているのが実に滑稽でもありました。
そうです、四万十川、実はそんなに清流ではないのです、少なくとも現在は。もちろん、野田さんが最初に紹介した一九八〇年頃は川の水を使ってウイスキー水割りにできるくらい綺麗だったのかもしれませんが、今は同じことをやったらお腹下すと思います。他の情報源をいろいろ参照させていただくと、やれ法律上で言うところのダムが一個もないからだとか(*実際にはどう見てもダムと言えるものがあります)、いろいろ言い訳めいたことが書かれていますが(失礼)、やはり少なくとも水質上はとても清流とは呼べません。
ではなぜそんな川に?
理由の一つは、やはり野田知佑さんです。
はい、世間の皆さんと同様、ばっちり私の人生もこの方に影響受けてます。
実はわたくし、野田さんが下ったと思われる頃から約十年後に四万十川を訪れたことがあるのです。理由は当時も、野田さんの著書がきっかけで世間の目に触れるようになったから、といったように記憶していますが、さすがにこの頃の記憶はあいまいで、一つ上の学年の皆様がなんとなく適当に決めていた気もします。高校二年生と三年生の春の計二回、当時青春十八きっぷという一枚二千円ちょっとでJR全線が乗り放題になる、という切符を使って埼玉から四万十川まで旅行をしました。電車賃だけ見れば往復でも五千円かかっていないという恐ろしい貧乏旅行です。
そして、私が高校二年生の時の旅行は一九九一年。おおよそ上記の野田さんが訪れた時から十年位経っていた頃だと思うのですが、四万十川は当時からすでに清流ではありませんでした。この年に訪れたのが窪川という比較的中流域ということも良くなかったのだとは思いますが、水質は関東あたりにある川と大差なく、というか朝には川岸に泡ぶくが発生しており、明らかに生活排水がそのまま流れ込んでいることが見て取れました。
そんな、清流でないことが分かっている川に、三〇年の時を経て、今回またあえて訪問をもくろむ理由の一つに、「実は結構、あの頃から比べて水質が向上しているんじゃね?」という妙な期待がありました。これは実体験によるものです。二〇世紀後半は、高度経済成長期とバブル経済で宅地開発も進み、全国各地で住民も増え、自然破壊も進んで河川の水質悪化も進んだと思うのですが、それはずいぶん昔の話。二一世紀も四半期が過ぎようとしている今日では、意外なことに河川の水質が改善しているようです。もちろん、全国各地で行われている川の自然を取り戻す地道な活動だとか、下水道や浄化槽の普及もあるとは思うのですが、私個人の見解としてはもっとシンプルに「限界集落」が一因と考えています。
具体的に、私が小学生のころ、地元の川の汚さっぷりは、それはもうすごいものでした。ドブの臭いがしない川はなく、場所によってはゴルフ場からの農薬の流れ込みと蓄積で、川底が粘土状に赤黒くなっているところもありました。傷口があるともれなく化膿し、アカチンが手放せませんでした。それでも、ザリガニ取りやザコ釣りくらいはしていた記憶があるので大したものです。
ところが、しばらく地元を離れ、大人になって三〇年ぶりくらいに地元近辺の川に立ち寄ってみると、びっくりする位水質が改善してるのです。なんなら泳げるくらい。実際高麗川の巾着田近辺で子供を泳がせたりしました。いえ、私も小学生のころ一度あの近辺で泳いだことはあったのですが、ドブ臭が体にしみついてなかなか取れなかった記憶があります。また都幾川上流にある渓谷も、「なんちゃらブルー」という名称をつけたくなるくらい青緑の綺麗な色になってました。
これの理由は、川から陸を見上げれば一目瞭然です。
流域の住民がいなくなりました。
いわゆる限界集落のなれの果てで、高齢者だけだった住民の皆様も多くが高齢者施設に入ってしまったか亡くなられてしまったか、何らかの理由で明らかに主がいなくなった家が並ぶのが分かります。「そんなのお前の思い込みだろう」って?簡単な見分け方が一つあります。屋根の上のテレビのアンテナを見ればよいのです。VHFの大柄なアンテナだけついており、地デジ用のごついUHFアンテナ(昔の地方ローカル局用のUHFアンテナは細いので見分けがつきます)がついていなければ、地デジ移行前に住民がいなくなってしまった家、と判断できるわけです。ちなみに私の実家ももれなくこのケースに当てはまります。
というわけで、この上もなく失礼な思い込みによる根拠ではあるのですが、四万十川も同じように流域の住民が減り、水が綺麗になっているのではないかと期待しました。もちろんこれを書いている現在は旅を終えているので、実際どうだったかすぐ書くこともできるのですが、今回はあえてもったいぶってここでは書かないようにします。
以上が「清流でもないのに何故?」の理由づけなのですが、おまけとしては、高校の時に訪れてから早三〇年、いったい景色はどう変わっているんだろう、というシンプルにノスタルジーの心に駆られて、というものもありました。まだ五〇前なのに、もうノスタルジーかよ。おっさんかよ。という感じなのですが、いいんです、おっさんど真ん中なんですから。
そして、さらなるおまけとしては、ものすごく勝手に個人的な理由。
別の拙書でも書きましたが、私の父がちょうど野田さんと同じ年に生まれ、同じ年に亡くなりました。「以上、おしまい」と残念なくらいそれ以上の関連性はありません。
とにかく亡くなって一年、私の人生に重なり影響を与えた、と一方的かつ勝手に思い込んでいる野田さんが、長く愛した川というのを姿勢を正して再訪してみたい、という気持ちもありました。
さて、とにかくこれにて旅の動機づけ、モティベーションは十分...かというと、まだ足りませんでした。
どうせやるなら、釧路川の時にも書いていた「死ぬまでにやりたいこと100」をもう一つくらいこの旅でこなしたい、という目論見がありました。恥ずかしげもなく、また前回と同様に一部を紹介しますと...。
・自作ビールを作る(*一定アルコール度数以上のものは酒税法違反です)
・花火を升席で見る
・京都の一見さんお断りの店にいく
・野生のイルカと泳ぐ
などなどあり、その一つとして「源流から河口まで辿ってみる」という項目もありました。ふむ、いいんじゃない、と一見思うのですが、これを四万十川でやろうとすると結構大変です。いえ、正確には、レンタカーとか自転車とかで源流に行き、そのまま流域沿いに道路を並走して河口まで到達するのはそう難しくもない気がするのですが、今回の旅の核心である「パックラフトで川下り」を前提とすると、特に上流部の移動に大変困ることになりました。
四万十川だけでなくどこの川でもそうだと思いますが、上流部は船で下るほど水量がありません。いわんや源流部をや(反語)です。そして、前回からのこだわりとして、ソロで、かつなるべく公共交通機関だけで移動する、というのは外したくなく、最初からレンタカーを使うという選択肢は消えました。旅は一方通行、川下り後に車で回送なんてナンセンス!という無駄なこだわりです。
さて困ったぞ。他の皆様がやられているように、自転車でも持ち込むか?
そう思ったのですが、ちょっと調べてみるとパックラフトに搭載できるくらいの自転車だと超軽量の部類になり、詳しくはないのですがダホンとかいうブランドで安くても十万円位します。いや、二万円のパックラフトに載せる自転車が十万円て...。
と色々調べているうちに目についたのが、「キックボード」という乗り物です。そうです、そこいらへんにいる子供たちがよく乗っている、スケートボードにハンドルが生えたような乗り物です。これならほどほどの品質のものが1万円中ごろで買えます。さらに、物にもよりますが5㎏程度とかなり軽量です。まさに「ぐりとぐら」のように「これだ」と、ぽんと手をたたきました。
まあ実際には「これだ」程度の考えて決心してしまったがためにその後いろいろ苦労することになるのですが、こうして今回の旅のスタイルの大枠が固まりました。
二〇二三年秋、四万十川を旅する。
パックラフト+キックボードで、源流から河口まで。
~野田さんと高校生の自分を追うノスタルジーの旅~
...動機付けがなげーよ、我ながら!ですね。
まあ要するに知名度だけ高くて水質良くないとわかっている川に行く理由づけに苦労した、という話ですね。ということで、次から順次、旅の詳細に入っていきたいと思います。